唯円(ゆいえん)が書いたといわれる「歎異抄(たんにしょう)」の中には、唯円と親鸞聖人の会話がイキイキと描かれている部分があります。

『念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。~(省略)』

(意訳)唯円が親鸞聖人に「毎日念仏を唱えているのですが、踊るようなうれしい気持ちになりません。しかも素晴らしいところだと聞いている浄土に早くいきたいという気持ちも沸いてこないのはどういうことでしょうか?」と尋ねたところ、親鸞聖人は「唯円もそうか、私もそんな風に感じていました。~(省略)」

先生と生徒とでも言うべき間柄の親鸞聖人と唯円の会話なのですが、なんとも和やかな会話だと思いませんか。唯円は素直に自分の気持ちを親鸞聖人にぶつけ、親鸞聖人はその言葉を受けて、自分も同じだと言っています。

普通であれば、こんな不躾な質問をされれば怒ってしかるべき内容のことなのですが、親鸞聖人は真摯に対応されているのが垣間見えてくる場面です。浄土真宗親鸞会のサイトではこうした親鸞聖人について詳しく紹介されているので、興味が沸いたらチェックしてみることをおすすめします。

話は変わりますが、「地獄極楽」というのはどんなところなのでしょうか。
歴史の教科書や古い日本画を紹介した美術書には、地獄絵図や極楽の様子を描いた絵があります。子供の頃はとっても恐い絵だと思ったものですが・・・。

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親鸞聖人(しんらんしょうにん)の教えのメインテーマは「平生業成(へいせいごうじょう)」とい言葉に集約されます。
その意味は「人生に目的がある。だから早く達成せよ。」となりますが、これ以外に親鸞聖人90年のメッセージはありませんでした。

<「平生業成」とは>
「平生」とは、死んだ後ではない、生きている現在ということで、「業」とは事業の業の字を書いて仏教では「ごう」と読みます。

親鸞聖人は人生の大事業のことを「業」と言われています。今の日本語に置き換えますと、「人生の目的」ということになります。人生の目的とは「何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、苦しくともなぜ生きなければならないのか」ということです。

最後の「成」とは、完成する、達成するということです。

人生には大事な目的がある。それは今生きているうちに完成できるのだから早く完成しなさいよ、と教えられたのが親鸞聖人です。だから親鸞聖人の教えを「平生業成」の教えというのです。もっと詳しく知りたい方は浄土真宗親鸞会のホームページに詳しく紹介されているのでご覧になるといいと思います。

因果応報(いんがおうほう)」という言葉を皆さんご存知だと思います。
一般的な理解としては、悪いことをすれば悪い結果が返ってくるというものだと思います。しかし、もともとは仏教用語で原因があって結果があるということを示した言葉で、善いことをすればいい結果、悪いことをすれば悪い結果といった意味はありません。悪しからず・・・。

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蓮如上人(れんにょしょうにん)

Posted on 14 5月 2009 In: 仏教用語, 蓮如上人, 親鸞会

親鸞聖人(しんらんしょうにん)が宗祖の浄土真宗を知る上で、欠かせないのが蓮如上人(れんにょしょうにん)です。
蓮如上人のことについてご紹介していきましょう。

浄土真宗の中興の祖と言われる蓮如上人の生涯を簡単に紹介すると、1415年室町時代の京都に本願寺第七世・存如の長子として生まれ、1457年父親の死とともに、本願寺第八代を継職、1499年に85歳で亡くなるまで浄土真宗の布教に心血を注いだ偉大な僧侶です。

蓮如上人の布教活動は、教義を分かりやすい手紙にしたためて説いていくのが特長で、蓮如上人の書いた手紙の多くは「御文章(ごぶんしょう)」に収められています。

蓮如上人はこの御文の中で、宗祖親鸞聖人のお言葉を一般の人にも分かりやすくするために平易な言葉で表現しています。
その中でも特に「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」ということについては、一切合切の自力の行を捨て去って、阿弥陀様のお計らいに全てお任せすること。そして、信心(しんじん)することによって自然と内から湧き上がってくるのが「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」というお念仏なのだということをおっしゃっていらっしゃいます。

つまり念仏を唱えることによって救われるのではなく、阿弥陀仏にお任せすることによって浄土往生(おうじょう)が約束され、自然に「南無阿弥陀仏」とお念仏を称える生き方になるとおっしゃっているのです。

随分とはしょった説明になってしまっているので、もっと詳しい内容については浄土真宗親鸞会のホームページや刊行物で知ることが出来ます。興味のある方は、ご自分で調べてみるといいと思います。

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南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)

Posted on 16 4月 2009 In: お言葉, 仏教用語

親鸞聖人や浄土真宗、はたまた仏教ということを全く知らなくても「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という言葉は聞いたことがあると思います。

「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」との違いは?
・・・と聞かれると、もうお手上げという人も多いと思います。

今回は仏教入門として、この「南無阿弥陀仏」について調べてみましょう。
「南無阿弥陀仏」、「南無妙法蓮華経」のいずれにも使用されている「南無(なむ)」というのは、もともとインドの古い言葉であるサンスクリット語の「ナマス」、「ナモー」という言葉で、「わたしは帰依(きえ)します」ということを意味します。つまり、「南無阿弥陀仏」とは、「わたしは、阿弥陀様に帰依します」ということになります。

この「帰依」とは、きちんと言葉にするのは難しいのですが、「信じます」とか「拠り所にします」、「捧げます」というのが適当なのではないかと思います。

よって、「南無阿弥陀仏」を思い切って現代日本語にしてしまうと、「阿弥陀様を信じて、この身を捧げます」と解釈できるのではないでしょうか。

次に「阿弥陀仏」ですが、仏様の中の仏様です。
お釈迦様も仏様ですが、阿弥陀仏はお釈迦様の上司、お師匠様と言えばお解かりいただけるかもしれません。
親鸞聖人の教えは「阿弥陀仏の本願」ひとつなのですが、「南無阿弥陀仏」という念仏と深い関わりがあります。このあたりの関係は少し解説が必要になるので、いつか機会を見つけて詳しくご紹介します。

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和顔愛語(わげんあいご)

Posted on 30 3月 2009 In: お言葉

現代の人にとって、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の魅力とはどのようなものでしょうか。
仏教徒、特に浄土真宗の人にとっては、親鸞聖人のお言葉を法話で聞いたり、話したりすることで身近に感じることが出来るでしょう。

真宗の門徒(もんと)さんでない方の場合でも、「歎異抄(たんにしょう)」の現代語版、解説本などで親鸞聖人のお言葉に触れることで、魅了されるということがあると思います。

その仏教で使われる「お経」ですが、一般の方はお葬式でお坊さんが唱えているのを聞くぐらいしか触れることがないと思います。
しかし、そうしたお経の中に書かれていることは現実世界にも当てはめることが出来るものが多いのです。

仏教用語に「和顔愛語(わげんあいご)」という言葉があります。
『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』というお経の中に説かれている言葉なのですが、どのような意味の言葉なのでしょうか。
「和顔」とは、読んで字のごとく「和やかな顔(表情)」ということ。
「愛語」とは、優しい言葉ということです。
つまり、和やかな笑顔で優しい言葉をかけることという意味になりますが、こうすることで自分も相手も幸せにすることが出来るということを意味します。

「お布施」という言葉がありますが、お布施は金品や物に限らず、笑顔や優しい言葉もお布施になります。
お金やモノを持っていなくても、笑顔や言葉によって人を幸せにすることが出来るということがこの「和顔愛語」という言葉には込められているのです。

想像でしかありませんが、親鸞聖人も和やかな笑顔と優しいお言葉で周りの人々に接していられたのではないかと思います。

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親鸞聖人の生涯(3.)

Posted on 10 3月 2009 In: 生涯, 魅力

今回は親鸞聖人(しんらんしょうにん)、35歳から没せられるまでの後半生をご紹介して行きたいと思います。
世は鎌倉時代となっている1207年(親鸞聖人35歳)のときに、法然上人(ほうねんしょうにん)は土佐、親鸞聖人は越後へ、それぞれ流罪となります。(※ このとき、親鸞聖人は時の権力者によって「僧籍」を剥奪されていますが、親鸞聖人ご本人はご自身を「非僧非俗(ひそうひぞく)」と呼ばれていたそうです。)

当時の後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)の怒りに触れたそうですが、当時の世の中に専修念仏(せんじゅねんぶつ)の考えが広まっていたことが背景にあると言われています。法然・親鸞両聖人は、仏教の結論である「一向専念無量寿仏(いっこうせんねんむりょうじゅぶつ)」の教えを強調されたために、他の宗派から攻撃の対象となってしまったのです。

※「一向専念無量寿仏」とは、「阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神に私たちを救う力はない。弥陀一仏を信じよ」と教え勧められたお釈迦さまのお言葉です。

その後・・・
39歳 流罪赦免
40歳 法然上人逝去
(親鸞聖人;関東へ)
45歳 日野左衛門(ひのざえもん)を済度<後の入西房(にゅうさいぼう)>
49歳 弁円済度<後の明法房(みょうほうぼう)>
52歳ごろ 『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』を書かれる
60歳ごろ 京へ
<親鸞聖人;76歳以降 著書の多くを著される>
84歳 長子・善鸞を義絶(親鸞聖人、実の息子を勘当)
90歳 親鸞聖人入滅

当時としては異例ともいえる長寿を全うされた親鸞聖人は、法然上人に師事できたことを生涯の喜びとしておられたと伝えられます。

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親鸞聖人の生涯;「三大諍論」

Posted on 22 2月 2009 In: 三大諍論

親鸞聖人(しんらんしょうにん)が31歳(※諸説あり)のときに、当時の僧侶には絶対のタブーとされた「肉食妻帯」を断行され、34歳のときに法然門下の高弟・法友たちとの所謂「三大諍論(さんだいろんそう)」によって阿弥陀仏の本願を説かれています。
親鸞聖人の真意はどこにあったのでしょうか。

<体失不体失往生の諍論(たいしつふたいしつおうじょうのろんそう)>
阿弥陀仏に救われるのは死んでからでしょうか、それとも生きてるうちに救われるのでしょうか。
このことを親鸞聖人は明確に、『阿弥陀仏の本願は死なねば助からないという「体失往生」ではなく、現在この世から救われる「不体失往生」なのだ』と仰っています。つまり生きている「ただ今」から救われるということです。

<信行両座の諍論(しんぎょうりょうざのろんそう)>
親鸞聖人は「信の座敷と行の座敷、二つの座敷があります。念仏を称えたら阿弥陀仏に救われると思う人は行の座に、念仏を称えずとも信心ひとつで救われると思う人は、信の座に」とおっしゃられ、自分は信の座に座られたそうです。

<信心同異の諍論(しんじんどういのろんそう)>
親鸞聖人は「私の信心も、法然上人(ほうねんしょうにん)のご信心も、全く同一である」と言われたそうですが、それに対して法然門下の他の弟子から強い反発を受けたそうです。しかし、法然上人は「私の信心は、阿弥陀仏の本願によりたまわった信心。親鸞の信心もまた同様に阿弥陀仏の本願によりたまわった信心なので、同じものだ」と親鸞聖人を支持されたそうです。

この「三大諍論」によって親鸞聖人は阿弥陀仏の本願の偉大さ、信心の大切さ、いかなる人も平等に救われるということを示されたのではないかと思います。

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親鸞聖人の生涯(2.)

Posted on 3 2月 2009 In: 生涯, 親鸞聖人

前回から引き続いて親鸞聖人(しんらんしょうにん)の生涯についてご紹介していきたいと思います。
親鸞聖人は29歳で比叡山を下山され、聖徳太子建立と伝えられる京都の「六角堂」に籠もられるのですが、親鸞聖人はこの聖徳太子に生涯にわたって帰依されたそうです。親鸞聖人は聖徳太子のことが大好きだったのでしょう。

その後、親鸞聖人は法然上人に会い「信心決定(しんじんけつじょう)」されたそうです。
この「信心決定」とは、仏教用語なので少しわかりにくい部分があるのですが、趣旨は「阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願(ほんがん)によって救われる」ということのようです。

ここで唐突に「阿弥陀仏の本願」という言葉が出てきたので、阿弥陀仏の本願について調べてご紹介します。
まず「阿弥陀仏」ですが、阿弥陀如来(あみだにょらい)とも呼ばれる仏様の一人のこと。

お釈迦様も仏様ですが、阿弥陀仏とは違う仏様で、阿弥陀仏とはたくさんいる仏様の師匠、指導者というべき大変えらい仏様なのです。
その阿弥陀仏の約束されたことが「本願」なのですが、その約束とは「すべての人を必ず助ける。絶対の幸福にする。」というものです。

つまり、親鸞聖人が29歳のときに「信心決定(しんじんけつじょう)」されたということは、阿弥陀仏の本願を信じることによって救われたということにつながるわけです。

その後、親鸞聖人は当時の僧侶としてはタブーとされた「肉食妻帯」を断行することになるのですが、このへんの事はまた次回詳しくご紹介したいと思います。

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親鸞聖人の生涯(1.)

Posted on 17 1月 2009 In: 生涯, 親鸞聖人

今回は親鸞聖人(しんらんしょうにん)の生きた生涯についてご紹介したいと思います。
しかしなにぶんと900年近くも前に生きた方なので、諸説あったり、わからないことが多いのも事実です。調べられる範囲で詳しくお伝えできれば幸いです。

親鸞聖人の生まれは1173年で、歴史的に言うと平安時代後期にあたります。
1182年といいますから、親鸞聖人が9歳のときに出家(しゅっけ)得度(とくど)されています。今で言えば小学4年生の年齢にお坊さんになる決心をされているということになりますが、親鸞聖人のご両親はそれぞれ4歳の時に父親、8歳の時に母親が亡くなっています。そこに何か原因やきっかけがあるかもしれませんが、今では知る由もありません。

※ この出家(しゅっけ)・得度(とくど)という言葉ですが、
◆出家・・・世俗を離れ、家庭生活を捨てて仏門に入ること
◆得度・・・僧侶となるための出家の儀式(剃髪して僧籍に入ること)
という意味で、つまりお坊さんになるということを意味します。

9歳で出家された親鸞聖人は、比叡山(ひえいざん)で天台宗の僧侶・慈円(じえん)のもとで修行をなされることになりました。
その修行は20年余りにもおよび、親鸞聖人は29歳まで比叡山で厳しい修行を行われたそうです。つまり親鸞聖人は青春時代の全てを比叡山での修行に捧げたといっても過言ではないわけです。

そして志半ばのうちに下山し、聖覚法印のすすめで法然上人に師事することになったと言われています。

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親鸞聖人とは?

Posted on 1 1月 2009 In: 親鸞聖人

『歎異抄』という本を読んだことがある人はいますか?
著者は唯円(ゆいえん)というお坊さんだという説が有力だそうですが、実際のところはわからないそうです。

しかし、そこに書かれているのは「親鸞聖人(しんらんしょうにん)」のお言葉が中心になっています。
その中の一説に、
『親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。』
(意訳)『私親鸞は、「ただ念仏を唱えて阿弥陀さまに助けてもらいなさい」という法然上人の教えを信じているだけなのですから。』
というくだりがあります。

その言葉に触れたときに親鸞聖人の人柄が垣間見えるような気がして大変感動したのが、親鸞聖人に興味がわいたきっかけです。
少し乱暴な言い方をすれば、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を唱えて極楽浄土に行けるかどうかはわかりませんが、お師匠様の法然上人が念仏を唱えろとおっしゃてるんだから、それを信じてるだけです、と正直に答えていらっしゃるのがとても新鮮に、そして身近に感じられたのです。

この親鸞聖人という方は、浄土真宗の「宗祖」や「開祖」として歴史で習ったのですが、よくよく調べてみると、親鸞聖人が生きた約90年の生涯の中で、一度も新しい宗派を起こそうと考えられたことはなく、あくまでも法然上人の教え、つまり「阿弥陀仏の本願」を広めること以外考えていなかったということも人間的に魅力を感じるところです。

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