唯円(ゆいえん)が書いたといわれる「歎異抄(たんにしょう)」の中には、唯円と親鸞聖人の会話がイキイキと描かれている部分があります。
『念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。~(省略)』
(意訳)「私は念仏を称えましても、天に踊り地に躍る歓喜の心が起きません。また、浄土へ早く往きたい心もありません。これはどういうわけでありましょう」と、率直にお尋ねしたところ、
「親鸞も同じ不審を懐いていたが、唯円房、そなたも同じことを思っていたのか~(省略)」
先生と生徒とでも言うべき間柄の親鸞聖人と唯円の会話なのですが、なんとも和やかな会話だと思いませんか。唯円は素直に自分の気持ちを親鸞聖人にぶつけ、親鸞聖人はその言葉を受けて、自分も同じだと言っています。
普通であれば、こんな不躾な質問をされれば怒ってしかるべき内容のことなのですが、親鸞聖人は真摯に対応されているのが垣間見えてくる場面です。浄土真宗親鸞会のサイトではこうした親鸞聖人について詳しく紹介されているので、興味が沸いたらチェックしてみることをおすすめします。
話は変わりますが、「地獄極楽」というのはどんなところなのでしょうか。
歴史の教科書や古い日本画を紹介した美術書には、地獄絵図や極楽の様子を描いた絵があります。子供の頃はとっても恐い絵だと思ったものです。
「因果応報(いんがおうほう)」という言葉は、もともとは仏教用語で、原因があって結果があるということを示した言葉です。
善いことをすればいい結果、悪いことをすれば悪い結果と、善いことにも悪いことにも言える言葉です。
地獄や極楽ということと、因果応報と、密接不離な関係があります。