南無阿弥陀仏の名号をいただくと、無明の闇が破れ、究極の願いが満たされるとお話ししていました。

無明の闇とは、明りがない暗い心で、後生くらい心とも言われます。

人間生まれたからには、必ず死んでいかねばなりませんが、死ねばどうなるかハッキリしません。

よく、死んだら極楽、死んだら仏、念仏を称えましょう、などと寺でいわれますが、

どれだけそういわれてもハッキリしません。

人の言葉ぐらいで、死後がハッキリする道理がないのです。

人間、先行きが暗いと不安です。

それは、東北の被災者の方々が、一番不安なのは、先行きが暗いことです、と語っていることからも分かります。

確実な未来、それも今日とも明日とも次の瞬間ともしれない後生が暗いのですから、

現在が明るくなる道理がありません。

この無明の闇を破って、人間に生まれてよかったの生命の歓喜を与えるはたらきが、

南無阿弥陀仏の名号にあるのです。

このことは、親鸞会という親鸞聖人の教えを伝える集まりで詳しく話しがなされています。