今回は親鸞聖人(しんらんしょうにん)、35歳から没せられるまでの後半生をご紹介して行きたいと思います。
世は鎌倉時代となっている1207年(親鸞聖人35歳)のときに、法然上人(ほうねんしょうにん)は土佐、親鸞聖人は越後へ、それぞれ流罪となります。(※ このとき、親鸞聖人は時の権力者によって「僧籍」を剥奪されていますが、親鸞聖人ご本人はご自身を「非僧非俗(ひそうひぞく)」と呼ばれていたそうです。)

当時の後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)の怒りに触れたそうですが、当時の世の中に専修念仏(せんじゅねんぶつ)の考えが広まっていたことが背景にあると言われています。法然・親鸞両聖人は、仏教の結論である「一向専念無量寿仏(いっこうせんねんむりょうじゅぶつ)」の教えを強調されたために、他の宗派から攻撃の対象となってしまったのです。

※「一向専念無量寿仏」とは、「阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神に私たちを救う力はない。弥陀一仏を信じよ」と教え勧められたお釈迦さまのお言葉です。

その後・・・
39歳 流罪赦免
40歳 法然上人逝去
(親鸞聖人;関東へ)
45歳 日野左衛門(ひのざえもん)を済度<後の入西房(にゅうさいぼう)>
49歳 弁円済度<後の明法房(みょうほうぼう)>
52歳ごろ 『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』を書かれる
60歳ごろ 京へ
<親鸞聖人;76歳以降 著書の多くを著される>
84歳 長子・善鸞を義絶(親鸞聖人、実の息子を勘当)
90歳 親鸞聖人入滅

当時としては異例ともいえる長寿を全うされた親鸞聖人は、法然上人に師事できたことを生涯の喜びとしておられたと伝えられます。