さて、ここからは「親鸞聖人ゆかりの地」とも言える旧跡について紹介していきましょう。

 京都に生まれられた親鸞聖人は、35歳の時に流刑で越後へ赴かれ、その後関東で約20年間滞在なされ、還暦過ぎて京都に戻られましたので、かなり広範囲に聖人ゆかりの地が存在します。

 今回は、福井県吉崎近くにある「細呂木のノコギリ坂」を紹介しましょう。

細呂木のこぎり坂

↑北陸街道の「のこぎり坂」

 吉崎と言えば「蓮如上人」を思い浮かべます。吉崎御坊を中心として蓮如上人にまつわる旧跡は数多くありますが、まさか吉崎近くにそんな場所があろうことは、意外に知られてはいません。
 
 細呂木と言えば、JR北陸線に細呂木駅が存在しますが、実際の細呂木地区はJRの駅からかなり離れています。
 細呂木は、かつて北陸街道の要所にあり、江戸時代には関所が設置されたほどの歴史ある町です。
 
 親鸞聖人35歳の時、流刑で京都から越後に向かわれる途中、北陸の随所で布教をされたのですが、中でも越前では多くの人が聞き求めるようになり、越後への旅の同行をしたそうです。
 しかし、大きな理由もなく国境を越えることはできません。

 細呂木は、丁度越前と加賀の境にあたります。

 街道の「のこぎり坂」と言われる急峻な坂にさしかかられた時、親鸞聖人が振り返れば、そこには「歩きながらでも法話を聞かせていただきたい」とついてきた人たちがありました。
 みな、親鸞聖人との別れを悲しんだのです。
 
 その時、親鸞聖人は

 音にきく のこぎり坂にひきわかれ
    身の行くすえは こころ細呂木

 と、一首の歌を詠まれました。

 その歌を刻んだ石碑が、のこぎり坂に今もひっそりと立っています。

石碑は、ひっそりと立っている

↑石碑は、ひっそりと立っている

 
 この石碑、地元でもほとんど知られておらず、見つけるのに一苦労します。

 「この親鸞の話を聞きたいと付き従って来られながら、ここで別れなければならない。まるで、のこぎりで引き裂かれるように悲しいことよ」

 どこどこまでも、仏法を求める人たちを案じられるお姿が、まぶたに浮かぶようです。