親鸞聖人の生涯(2.)

Posted on 3 2月 2009 In: 生涯, 親鸞聖人

前回から引き続いて親鸞聖人(しんらんしょうにん)の生涯についてご紹介していきたいと思います。

親鸞聖人は29歳で比叡山を下山され、聖徳太子建立と伝えられる京都の「六角堂」に籠もられるのですが、親鸞聖人はこの聖徳太子を生涯にわたって大変尊敬しておられたそうです。親鸞聖人は聖徳太子のことが大好きだったのでしょう。

その後、親鸞聖人は法然上人に会い「信心決定(しんじんけつじょう)」したと「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」に告白されています。
この「信心決定」とは、仏教用語なので少しわかりにくい部分があるのですが、趣旨は「阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願(ほんがん)力によって救われる」ということのようです。

ここで唐突に「阿弥陀仏の本願」という言葉が出てきたので、阿弥陀仏の本願について調べてご紹介します。
まず「阿弥陀仏」ですが、阿弥陀如来(あみだにょらい)とも呼ばれる仏様の一人のこと。

お釈迦様も仏様ですが、阿弥陀仏とは違う仏様で、阿弥陀仏とはたくさんいる仏様の師匠、指導者というべき大変えらい仏様なのです。
その阿弥陀仏の約束されたことが「本願」なのですが、その約束とは「すべての人を必ず助ける。絶対の幸福にする。」というものです。

つまり、親鸞聖人が29歳のときに「信心決定(しんじんけつじょう)」されたということは、阿弥陀仏の本願を信じることによって救われたということにつながるわけです。

その後、親鸞聖人は当時の僧侶としてはタブーとされた「肉食妻帯」を断行することになるのですが、このへんの事はまた次回詳しくご紹介したいと思います。

  • コメントは受け付けていません。

親鸞聖人の生涯(1.)

Posted on 17 1月 2009 In: 生涯, 親鸞聖人

今回は親鸞聖人(しんらんしょうにん)の生きた生涯についてご紹介したいと思います。
しかし何ぶんと800年近くも前に生きた方なので、諸説あったり、わからないことが多いのも事実です。調べられる範囲で詳しくお伝えできれば幸いです。

親鸞聖人の生まれは1173年で、歴史的に言うと平安時代後期にあたります。
1182年、親鸞聖人が9歳のときに出家(しゅっけ)得度(とくど)されています。今で言えば小学3、4年生の年齢にお坊さんになる決心をされているということになりますが、親鸞聖人のご両親はそれぞれ4歳の時に父親、8歳の時に母親が亡くなっています。そこに何か原因やきっかけがあるかもしれませんが、今では知る由もありません。

※ この出家(しゅっけ)・得度(とくど)という言葉ですが、
◆出家・・・世俗を離れ、家庭生活を捨てて仏門に入ること
◆得度・・・僧侶となるための出家の儀式(剃髪して僧籍に入ること)
という意味で、つまりお坊さんになるということを意味します。

9歳で出家された親鸞聖人は、比叡山(ひえいざん)で天台宗の僧侶・慈円(じえん)のもとで修行をなされることになりました。
その修行は20年余りにもおよび、親鸞聖人は29歳まで比叡山で厳しい修行をされたそうです。つまり親鸞聖人は青春時代の全てを比叡山での修行に捧げたといっても過言ではないわけです。

そして29歳のときに下山を決意し、聖覚法印(かつての比叡山でのお友だち)のすすめで法然上人に師事することになったと言われています。

  • コメントは受け付けていません。

親鸞聖人とは?

Posted on 1 1月 2009 In: 親鸞聖人

『歎異抄』という本を読んだことがありますか?
仏教書として、最も多くの人に読まれている本です。
著者は唯円(ゆいえん)という親鸞聖人のお弟子さんだという説が有力だそうですが、実際のところはわからないそうです。

しかし、そこに書かれているのは「親鸞聖人(しんらんしょうにん)」のお言葉が中心になっています。
その中の一節に、
『親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せを被りて、信ずるほかに別の子細なきなり。』
(意訳)『(意訳)親鸞はただ、「本願を信じ念仏して、弥陀に救われなされ」と教える、法然上人の仰せに順い信ずるほかに、何もないのだ。』
というくだりがあります。

その言葉に触れたときに親鸞聖人の人柄が垣間見えるような気がして大変感動したのが、親鸞聖人に興味がわいたきっかけです。
お師匠様の法然上人がおっしゃることに、したがい信ずる以外にない、と心のままに答えていらっしゃるのがとても新鮮に、そして身近に感じられたのです。

この親鸞聖人という方は、浄土真宗の「宗祖」や「開祖」として歴史で習ったのですが、よくよく調べてみると、親鸞聖人が生きた約90年の生涯の中で、一度も新しい宗派を起こそうと考えられたことはなく、あくまでも法然上人の教え、つまり「阿弥陀仏の本願」を広めること以外考えていなかったということも人間的に魅力を感じるところです。

  • コメントは受け付けていません。